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第4回 ボイス読書会 「幕末純情伝」 10月29日

第4回ボイス読書会を開催します。

つかこうへいの「幕末純情伝」を題材として取り上げます。
– 沖田総司は実は女性だった
意外な奇想で知られますが、男と女、理想、希望、青春、野心、プライド、怨念、悲哀、憎悪、そして愛がアラベスクを織り成し、むせ返るほどの情熱の迸る作品です。
野暮な解説はいたしません。

絶版となっていますが古本をAmazonで入手できます。古書店の通販でも入手可能。
単行本で159ページですが、歯切れのよい掛け合い多数なので2時間30分ほどで読了する見込みです。

音読をたっぷり楽しみましょう。

【題材】
「幕末純情伝」 つかこうへい
白水社版を各自お持ちください

【定員】
6名まで (会場都合のため)

【日時】
2017年10月29日(日曜) PM1:00〜PM5:00

【場所】
駒込地域文化創造館 4F 第4会議室
東京都豊島区駒込2-2-2

【費用】
参加費:無料
会場使用料:800円を割り勘します

【当日の流れ】
自己紹介:名前と抱負と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単な説明をします
配役:役どころの割り振りを行います
音読:課題本を音読します
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読します
感想交換:感じたこと思ったことをシェアします
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッションを楽しみます
二次会:盛り上がりに応じて二次会を行います

●参加申込
こちらの申込フォームからどうぞ。

<レポート> 第2回 ボイス読書会 「友達」 8月27日

うだるような暑さとなった8月27日に第2回ボイス読書会「友達」は行われました。
場所は駒込地域文化創造館。参加者4名。
外の空気よりも熱く進行しました。
待ち時間が多すぎもせず少なすぎもせず、4名体制でちょうど良かったと感じます。

今回もたいへんご好評いただいております。
皆様に堪能していただけて主催者冥利に尽きます。

また音読と演劇が混淆一体となった衝撃は前回と同じく今回もありました。
黙読とはまるで違う、段違いに理解が深まるといった声をいただいております。
何かの鉱脈を掘り当てた気がします。

読了後のディスカッションの抜粋をご紹介します。

・アウトプットすることが新鮮
・前近代では読書は朗読だった、黙読するようになったのは近代以降のこと
・かつて地方はしがらみが強かったが都市化によってしがらみは薄れた
・しかし今またつながりを求められている
・現代では弱い紐帯が注目されている
・「土足はひどいじゃないか」と言われて靴を脱ぐ場面、これはすり替えである。こうしたすり替えを行う人はいる
・思い込みの強い人の思い通りになる社会の状況がある
・前近代と都市化が交錯する舞台
・電話が役割を果たしている
・男性が電話を所有しているのはリッチなこととして描かれている
・個人や核家族の勃興した時代を感じる
・男は会社で身辺のことを話さないのか疑問である
→会社では言っていないのではないか?
→都会の孤立?
→男は元から孤立していたのでは?
・理由なく不条理に友達として迫られていることが不気味
・最初は暴力を振るわれないだけマシだと読んでいた
→あがりこまれるが、近所付き合い、人付き合いのある男であったならば、このような被害は回避できたのではないか?
・三男の賭け
→待望する人々、ゴドーを待ちながらに通じる不条理性の挿話
・婚約者の兄
→家族にとってあるべき男の姿なのでは?
・多勢に無勢だと自分がおかしいと思うのではないか?
→洗脳や警察の自白の強要に一脈通じる
・心理学の実験で棒を選択するというのがある、どちらが長いかを選ばせる
→みんなの意見に反対しないものを選ぶようになる
・逆らいさえしなければ世間だったのに…とは、世間
・何故殺したのか?
→彼らの思想を受け入れなかったから?
→男の孤独癖のため?
・この人たちには悪気ある?ない?
→ない
・この家族に血のつながりはあるか?
→ない
・前近代での旅芸人を彷彿させる集団である
・男性が生き延びるためにはどうすれば良かったか?
→彼らの思想を受け入れていれば良かったのではないか?
・その時代の流れ(強い紐帯から弱い紐帯に移行しようとする人たち)を汲み取り、旧来のあり方からの移行を描いた作品として考えると上手に作ったものだと思う
→排除の現象学が倒錯して表象されている
・カッコつきの常識に過ぎないことへの警鐘を読み取れる
→最後のシーンは家族の価値観対男の価値観?
・あれは粛清だったのだろうか?
→粛清の手法に似ているのは確かなこと
・当時の社会情勢、過激派学生の存在を背景としているのでは?
→赤軍派もまた疑似家族である

会の雰囲気は伝わりましたでしょうか。

第3回 ボイス読書会 「わが友ヒットラー」 9月30日

 

第3回ボイス読書会を開催します。

三島由紀夫の「わが友ヒットラー」を題材として取り上げます。
最近ですと東山紀之や生田斗真が出演していますが、定期的に舞台化されて来ている作品です。また、三島自身による読み上げの録音も残っている事でも知られます。

新潮文庫で93ページですので1時間30分ほどで読了する見込みです。
出来れば配役を変えて二周します。

今回の題材は作品特性として男性4名しか登場しません。
このため定員5名としました。
経験的に、女性が男性の役どころをこなす分には違和感が少ないので、女性の方も奮ってご参加ください。

音読をたっぷり楽しみましょう。

【題材】
「サド侯爵夫人・わが友ヒットラー」 三島由紀夫
新潮文庫版を各自お持ちください

【定員】
5名くらいまで (作品特性のため)

【日時】
2017年9月30日(土曜) PM1:00〜PM5:00

【場所】
駒込地域文化創造館 4F 第4会議室
東京都豊島区駒込2-2-2

【費用】
参加費:無料
会場使用料:800円を割り勘します

【当日の流れ】
自己紹介:名前と抱負と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単な説明をします
配役:役どころの割り振りを行います
音読:課題本を音読します
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読します
感想交換:感じたこと思ったことをシェアします
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッションを楽しみます
解散:解散します
親睦会:やるかもしれません

●ボイス読書会 参加申込
こちらの申込フォームからどうぞ。

【資料】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%8F%8B%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC

<wikipediaより引用>

設定・主題
舞台は、1934年(昭和9年)6月30日夜半の「レーム事件」前後のベルリン首相官邸の大広間。登場人物は、アドルフ・ヒトラー、エルンスト・レーム、シュトラッサー、グスタフ・クルップの実在人物の男性4人のみ。第1幕と第2幕は事件数日前。終幕の第3幕は6月30日夜半。
突撃隊幕僚長・レームはあくまでヒトラーを友と信じる右翼軍人。社会主義者・シュトラッサーはナチス左派。エッセン重工業地帯の独占資本を象徴する鉄鋼会社社長・クルップはヒトラーにうまく取り入る死の商人として描かれる。
三島は、〈レームに私はもつとも感情移入して、日本的心情主義で彼の性格を塗り込めた〉と述べ、『わが友ヒットラー』の主題について、ヒットラーへの興味というよりも「レーム事件」が書きたかったとしている。

政治的法則として、全体主義体制確立のためには、ある時点で、国民の目をいつたん「中道政治」の幻で瞞着せねばならない。それがヒットラーにとつての一九三四年の夏だつたのであるが、このためには、極右と極左を切り捨てなければならない。さうしなければ中道政治の幻は説得力を持たないのである。この法則は洋の東西を問はぬはずであるが、日本では、左翼の弾圧をはじめてから二・二六事件の処断までほぼ十年かかつた。いかにも計画性のないお国柄を反映してゐる。それをヒットラーは一晩でやつてのけたのである。ここにヒットラーの仮借ない理知の怖ろしさがあり、政治的天才がある。(中略)そしてレーム大尉は、歴史上の彼自身よりも、さらに愚直、さらに純粋な、永久革命論者に仕立ててある。この悲劇に、西郷隆盛と大久保利通の関係を類推して読んでもらつてもよい。
— 三島由紀夫「作品の背景――『わが友ヒットラー』」

また、先行で発表された『サド侯爵夫人』(女性のみ6人の登場人物)を書いている時から、それと〈対をなす作品〉として男性のみの登場人物の作品を創作しようと考えていたとし[、〈女らしさの極致〉の『サド侯爵夫人』の奥に、〈劇的論理の男性的厳格さ〉が隠され、〈男らしさの極致〉の『わが友ヒットラー』の背後に、〈甘いやさしい情念〉が秘められているとしている。

『サド侯爵夫人』における女の優雅、倦怠、性の現実性、貞節は『わが友ヒットラー』における男の逞しさ、情熱、性の観念性、友情と照応する。そしていづれもがジョルジュ・バタイユのいはゆる「エロスの不可能性」へ向つて、無意識に衝き動かされ、あがき、その前に挫折し、敗北してゆくのである。もう少しで、さしのべた指のもうほんのちよつとのところで、人間の最奥の秘密、至上の神殿の扉に触れることができずに、サド侯爵夫人は自ら悲劇を拒み、レームは悲劇の死の裡に埋没する。それが人間の宿命なのだ。
— 三島由紀夫「一対の作品―『サド侯爵夫人』と『わが友ヒットラー』」

作品評価・研究
『わが友ヒットラー』は、戯曲としての出来は悪くはないが、ヒットラーを扱っているというタブーから、海外では上演が行われない傾向がある。発表当時も作品自体のことよりも、俳優が観客にウケるためカーテンコールの挨拶でやっている「ナチス式敬礼」について批判し、「今通じる洒落と通じない洒落がある」と秋山安三郎が述べている。しかし、そのような中でも小島信夫は、「古典演劇のようなレトリックの多い文章でしゃべらせているので、福田恆存氏訳のシェークスピアを読むような感じがするが、非常に充実感がある」と評価している。
マイコウィッチ・ミナコ・Kは、三島がヒットラーへの興味よりもレーム事件に興味を持ち、〈レームに私はもつとも感情移入して、日本的心情主義で彼の性格を塗り込めた〉と説明している創作意図を鑑み、「この戯曲はかなり日本化されたヒットラー劇という特性を備えている」と説明しながら、この劇のヤマ場が第2場の、レームが断固としてヒットラーを信じる場面だとし、「それだからこそ、〈わが友ヒットラー〉という表題の意義が大きく浮かび上がるわけである」と解説し、最後のヒットラーの台詞を「三島の技倆を遺憾なく発揮したもの」と評している。
佐藤秀明は、ヒットラーに厚い友情を抱く突撃隊のレームと、ナチスの私兵・突撃隊の処分を考えていたヒットラーを比較し、全体主義の移行のために一旦中道政治の方向を示して国民の支持を取りつけようとするヒットラーよりも、私兵「楯の会」を率いる三島は当然突撃隊のレームと重なるとし、そこに必然的に浮上してくる「政治的敗北」ということを考え併せ、「三島は政治的な敗北を予言したのだろうか」と疑問を呈しながら、むしろ三島が告白しようとしたのは、「政治的勝利や政治的権謀術数への訣別の意志」であり、「粛清される側に立つ三島」が、ヒットラーを「わが友」と呼んだのは、レームの言う「軍隊への郷愁」を、敗者になることでそのまま享受しようという「心情」があったからだと考察している。
伊藤勝彦は、三島の死後に彼の「親友」を自認する「エセ親友」がぞくぞくと出てきたことから、三島が生前にそういった多くの取り巻きの者たちの媚態や偽善を見抜き、華やかで社交的な振舞いの中でも孤独を感じて「真の友」を欲していた人であり、いわばシュトラッサーのようにヒットラーの裏切りを事前に敏感に察知できるような「明察」の人だったとして、それゆえ三島は、自身とは異質の他者である「愚直で、誠実で、人を信じきることができる男」であるレームになりたいと思い、愚直に美に邁進してそれを体現する悲劇的な人物に憧れていたと考察している。そして三島の造型したそのレーム像について伊藤は以下のように解説し、レーム同様に「楯の会」を率いていた三島も、「戦士共同体の再現はもはや帰らぬ夢であることを知りぬいていた」が、それにもかかわらず、「それを信じることにいのちを賭けてみたかった」のだとしている。

レームにしても、まるっきりのバカではない。ヒットラーの裏切りの可能性を知らないわけではなかった。(中略)しかし、“わが友ヒットラー”を裏切ることだけは絶対にできない。彼はいわば戦士共同体を夢みる男だった。その夢が無残にこわされるくらいなら潔く死んだほうがましだった。(中略)たとえ裏切られてもいい。最後まで“わが友ヒットラー”を信じ、ヒットラーの信頼に応えるような、誠実な行動をとりつづけたい。こう考えたからこそ、シュトラッサーに同調しなかった。そうして見事に裏切られ、壮烈な死をとげたのである。
— 伊藤勝彦「わが友ヒットラー」(『最後のロマンティーク 三島由紀夫』)

また伊藤は、ヒットラーの造型については、決して「狂気の人」ではなく、「冷酷無残な政治的人間」であり、そこに「現実政治の実態」を三島が描いているとして、その観点でいくと、「ヒットラーが異常性格で狂人にひとしい存在であるという常識」に妥協していた公演(石沢秀二の演出、平幹二朗の演技)は、三島の原作の「真精神を裏切っていた」と劇評している。
そして、「もっとも冷静で、正気な人間のうちにも、狂人以上の冷酷無残がひそんでいる」という「正気という名の狂気」がこの劇の主題であり、三島が言いたかったのも、「あなたはヒットラーを自分とは無縁な特殊人間に仕立てあげ、ヒューマニズムの中に安住していたいのだろうが、そのあなたの中にもヒットラーが生きている。あなた自身、“ヒットラーの友”なのかもしれませんよ」ということだろうと伊藤は考察し、しかしながら演出家の強調点が三島の真意と噛み合っていないにもかかわらず、『わが友ヒットラー』で交わされる台詞には、三島の精神が躍動し、演劇空間の中に三島が甦り、「三島由紀夫は生きている」と実感できるとして、「すぐれた芸術作品はかくも不出来な演出の中においてすら、真価を発揮する」と評している。

第2回 ボイス読書会 「友達」 8月27日

夏休みの最後の日曜日にボイス読書会の第二回開催を下記要項で開催します。

皆様の温かい声援とご参加をいただけますればこれに優る喜びはございません。

安部公房の「友達」を題材として取り上げます。
新潮文庫で110ページですので2時間ほどで読了するかと思われます。
音読をたっぷり楽しみましょう。

【題材】
「友達」 安部公房
新潮文庫版を各自お持ちください

【定員】
8名くらいまで (会場都合のため)

【日時】
2017年8月27日(日曜) PM1:00〜PM5:00

【場所】
駒込地域文化創造館 4F 第4会議室
東京都豊島区駒込2-2-2

【費用】
参加費:無料
会場使用料:800円を割り勘します

【当日の流れ】
自己紹介:名前と抱負と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単な説明をします
配役:役どころの割り振りを行います
音読:課題本を音読します
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読します
感想交換:感じたこと思ったことをシェアします
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッションを楽しみます
解散:解散します
親睦会:やるかもしれません

●ボイス読書会 参加申込
こちらの申込フォームからどうぞ。

【資料】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E9%81%94_(%E6%88%AF%E6%9B%B2)

<wikipediaより引用>

作品成立・主題
『友達』は、1951年(昭和26年)に発表された小説『闖入者』を元にした戯曲であるが、テーマやプロットは『闖入者』とは違っている[3]。なお、1974年(昭和49年)の改訂版『友達』では、登場人物の一家の「祖母」が「祖父」に変更され、「元週刊誌のトップ屋」がなくなり、「婚約者の兄」と「三男」が加わった。また、初出版では、タイトル横に「黒い喜劇」と銘打たれている。

安部公房は、『友達』と『闖入者』の異なる点については、『闖入者』の「闖入者」たちは多数原理(民主主義)を暴力の合理化に利用し、主人公はその多数神話に毒されている故にそれに逆らえず自己矛盾の罠におちいるという「受身の犠牲者」にとどまるが、『友達』の「友達」たちは、主人公の忠実すぎる従僕の役割を引受け、その協調と連帯と和解の原理により、主人公は常に「外面的には優位を保つ」ことが出来るとしながら、以下のように、その関係構造を解説している。

その過剰な忠実さと友情の押し売り、盲目的な連帯への信仰が、クモの糸のように主人公を窒息させてしまうのだ。「友達」たちは、終始、犠牲者の立場をよそおいながら、そして主人公は、あたかも加害者の立場に立ちながら、結果はまったく逆になってしまうのである。この皮肉と、苛立たしさこそ、まさに現代の笑いなのではあるまいか。
— 安部公房「友達――『闖入者』より」

『友達』のテーマについては、「他人とはなにか、連帯とはなにか」だと安部は述べ、共同体原理が全く無効になっている現代における人間の連帯について以下のように説明している。

われわれは被害者であるだけでなく加害者でもありうる。そして、被害者であるか加害者であるかということを区別するものはない。“友達”の主人公にしても、被害者でもあるが、また、ちん入者たちにとっては加害者でもありうるわけです。だからといって、僕は絶望してるわけじゃない。人間の連帯という、すでに回復しえないものを回復しようとするのは絶望的だということを指摘したいんです。連帯とか隣人愛とかいいながら仲間割れしている現状を告発したいんです。
— 安部公房「談話記事 戯曲三本がことしの舞台へ」

また、『友達』の長女は「肉体的な愛」、次女は「精神的な愛」を、「主人公に求め、また与えたいと望む」と説明し、「主人公の立場は、彼女たちの好意と善意を利用しようとすることによって、いっそう複雑なものになる」としている。そして、「次女は、脱出を助けるふりをしただけではなく、本当に助けてくれたのかもしれない。死以外に、もはや真の脱出の道が無かったのだとすれば……」と安部は解説している。

なお、観客の反応については、おそらくこの芝居を観てよく笑うだろうと安部は予想しながら、「しかしこの笑いが舞台に対しての笑いではなく、実は自分を笑っていると感じていただければ、芝居は成功だと思う。皆さん、よく笑って下さい」と述べている。

<レポート> 第1回 ボイス読書会 「ロミオとジュリエット」 1月29日

爽やかな冬晴れとなった1月29日にボイス読書会の第1回 「ロミオとジュリエット」は行われました。場所は六義園心泉亭。参加者6名。和やかに進行しています。

役柄のアサインをどうするかが難しいものになる不安を感じていましたが、案外にあっさりと済み、滑り出し好調意気揚々。読んでは適度にディスカッションすることを繰り返しました。このやり方には落ち着いて理解しながら読み進めるのに効果があったように思えています。
佳境に入る前に売店のうどんで腹ごしらえ。献立充実しており味噌田楽を食した方もいらっしゃいました。再開後は佳境から終局へと皆で読み切っています。

やってみて感じたこととして、一人の人が担当して最後まで読み切ったことで登場人物があたかも命を持った人間としてそこに存在していたかのような手応えが残っています。体温や息吹が感じられたのです。ロミオ、ジュリエット、マキューシオ、修道士、その他登場人物を今でも生きた存在として感じています

音読・朗読と演劇性が混淆一体となった衝撃がありました。
事前に行っていた黙読とは圧倒的に異なる体験です。
やって良かったと思います。

参加メンバーが全員哲学に関心のある方だったことは不思議な偶然でした。

参加者の声を紹介いたします。

「面白かった。自分の朗読力の低下にも驚いた。」
「色々な人と意見や感想の共有や交換ができて楽しかった」
「演劇には詳しくなかったが時代背景等、知ることが多く、またいろんな解釈があることを知り良かったと思う」
「読み方1つ1つが解釈の表れなので、文学論を戦わせるよりストレートに自分の考えを表現出来ると感じました。」

活動を発展させる励みとします。

第1回 ボイス読書会 「ロミオとジュリエット」 1月29日

ボイス読書会の第一回開催を下記要項で予定しております。

皆様の温かい声援とご参加をいただけますればこれに優る喜びはございません。

寄り合って読了するので時間読みが難しいのが辛いところです。
時間の余裕を持っていらしていただけますと幸甚です。
会の終了後は親睦会として六義園を散策します。

季節の問題としまして寒さを気にしております。
管理事務所には冷暖房はあると聞いておりますが、各自での対策を推奨します。

【題材】
「ロミオとジュリエット」
角川文庫の新訳版を各自お持ちください。

【定員】
8名まで (会場都合のため)
最小催行:4名

【日時】
2017年1月29日(日曜) 9:30〜16:00

【場所】
六義園 心泉亭

【費用】
六義園入場料:300円
心泉亭貸借料:4名参加の場合1名600円 (2400円の会場貸借料を参加者で頭割り/8名参加の場合1名300円)
会としての参加費は考えておりません。

【当日の流れ】
自己紹介:名前と抱負と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単な説明をします
アサイン:役どころをアサインします

音読:課題本を音読します
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読します

感想交換:感じたこと思ったことをシェアします
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッションを楽しみます
解散:いったん解散します
親睦会:六義園の散策を楽しみます

●ボイス読書会 参加申込
こちらの申込フォームからどうぞ。

【資料】

https://ja.wikipedia.org/wiki/ロミオとジュリエット

<wikipediaより引用>
舞台は14世紀のイタリアの都市ヴェローナ。
ヴェローナは、1239年に神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世の協力を得て、近隣のロンバルディア同盟諸国を征服し、その絶頂期にあったが、ローマ教皇グレゴリウス9世はフリードリヒ2世を反キリストであると非難して近隣ロンバルディア同盟諸国を擁護し、再破門したことから戦争となり、以来ヴェローナの支配層は教皇派と皇帝派(ゲルフとギベリン、英: Guelphs and Ghibellines)に分かれて熾烈な争いが繰り広げられるようになった。

皇帝派(ギベリン、英: Ghibellines)のモンタギュー家(モンテッキ家)と教皇派(ゲルフ、英: Guelphs)のキャピュレット家(カプレーティ家)も、血で血を洗う抗争を繰り返すことに巻込まれていた。

モンタギュー家の一人息子ロミオは、ロザラインへの片想いに苦しんでいる。気晴らしにと、友人達とキャピュレット家のパーティに忍び込んだロミオは、キャピュレット家の一人娘ジュリエットに出会い、たちまち二人は恋におちる。
二人は修道僧ロレンスの元で秘かに結婚。ロレンスは二人の結婚が、両家の争いに終止符を打つきっかけになることを期待する。

しかしその直後、ロミオは友人とともに街頭での争いに巻き込まれ、親友・マキューシオを殺されたことに逆上したロミオは、キャピュレット夫人の甥ティボルトを殺してしまう。このことからヴェローナの大公エスカラスは、ロミオを追放の罪に処する。

一方、キャピュレットは悲しみにくれるジュリエットに、大公の親戚のパリスと結婚する事を命じる。ジュリエットに助けを求められたロレンスは、彼女をロミオに添わせるべく、仮死の毒を使った計略を立てる。しかし、この計画は追放されていたロミオにうまく伝わらなかった。
そのためジュリエットが死んだと思ったロミオは、彼女の墓で毒薬を飲んで自殺。

その直後に仮死状態から目覚めたジュリエットも、ロミオの短剣で後追い自殺をする。事の真相を知って悲嘆に暮れる両家は、ついに和解する。

 

音読宣言

既存の読書会は紹介型と探究型に大別可能である。紹介型は持ち寄った書籍の紹介を発表する。探究型は課題本の読み合わせを通じて読みを深める作業を共有する。紹介した本をその場で交換するなど、亜流も有り得よう。いずれであれ、参加する者の目的意識によって、興味深い体験となる。
隆盛を祈願するばかりである。

ボイス読書会が模索するのは、いずれにも分類不可能な形態である。紹介型や探究型と比較するならば、それは体験型と言えよう。紹介しない。探求もしない。読書を体験するのである。

黙読は効率が良い。恒常的に音読する者は多くはあるまい。ところが読者が自ら音を発することによってこそ身体性が向上する。音読の体験が扉を開く回路が存在するのである。この回路は既存の表現では演劇等舞台芸術に於いて模索されている。朗読によっても模索可能である。だが朗読は孤独な作業である。実現困難性の高い体験と言えよう。もっと実現容易な音読体験は存立し得るのであろうか。
ボイス読書会は演劇的に役割分担して行う音読に可能性を見出している。
朗読の困難を超克するのみならず、演劇性の獲得を通じて開ける地平線には朗読では獲得不可能な体験の顕現までをも期待している。現出した場はいったい如何なる様相を示現するであろうか?興味津々である。

既存の読書会とは異なる形態を造形し確立することを通じて愛書家に更なる発見と感動と喜びを届ける。ひいては本邦の文明文化の進化と深化に貢献しついには人類文化へと寄与する。
卑近にして偉大な理念を実現するためにボイス読書会は誕生するのである。