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<レポート> 第4回 ボイス読書会 「幕末純情伝」 10月29日

秋台風がにわかに訪れた神無月のアフタヌーンに第4回のボイス読書会が開催されました。
場所は駒込地域文化創造館。参加者3名。
幕末を所狭しと駆け回った青春は眩しいばかり。
全編を通じて途轍もない熱を発するつかの世界に胸が熱くなり、読了後は感無量で言葉を発することが出来ず。
深い余韻の残る会でした。

読了後のディスカッションの抜粋をご紹介します。

・史実とはずいぶん異なる
→事前に幕末の知識を知っておくともっと良かったかもしれない
→つかの解釈が先行している
→幕末に仮託してつかが自分の描きたいものを描いた気がする
→先行作品としての飛龍伝は見逃せない
→幕末純情伝を事前に読んでいなかったが、これで良かったような気がする。

・沖田が女性に転換されていること
→女性がバッタバッタと人を斬っている様、イメージできない
→作中で沖田が淡々と人を斬ってきたような雰囲気が気になった
→何故沖田を女性にしたのだろう?
→作中では弱者へのまなざしが描かれている
→社会的弱者としての記号のひとつとして考えていたかもしれない
→飛龍伝から踏襲しており、面白い演劇を作りたいつかの本能的判断だったかもしれない

・作中での「やってらんねえよ」は、みんな抱えてる思い
→何だかうまく消化しきれなかった
→現代に置き換えればいろんな武器(手段)がある
→何も人を斬るだけが手段ではない
→人を斬るということに結びつかない

・ジェンダー
→つかの時代と現代とでジェンダーに対する考え方がずいぶん異なる
→卑猥な言葉が出てくるし、物語を通じて男女のそういうのが語られる
→男女という大きなテーマがこの作品にはある
→一方で庶民や弱者に夢や希望や勇気を与えるというのもある
→何かしっくりしない
→描かれているのが現実の女性よりも『つかの』女性に寄っているかも

・デモクラシー
→伏流水のように作中を流れる精神がデモクラシーを乞う心
→新撰組の面々は弱者の代表のようなもの
→彼らのいじましい夢は叶わない
→坂本竜馬はそんな彼らの夢が叶う世の中を夢見ている
→デモクラシーのアイロニーがここにはある
→太平洋戦争に敗北してデモクラシーを与えられた国の物語である
→幕末を舞台としながらも現代の日本に通じている

・つかの発する熱
→現代に通じている
→いま読んでも胸を打たれる

<レポート> 第3回 ボイス読書会 「わが友ヒットラー」 9月30日

すっかり秋の空気に入れ替わった9月30日に第3回ボイス読書会「わが友ヒットラー」は行われました。
場所は駒込地域文化創造館。参加者2名。
今回もご好評いただきました。
登場人物4名、参加者2名、待ち時間が少ない上に二役の面白みもありました。
ボイス読書会は少人数を意識すると良いのかなぁと感じました。

読了後のディスカッションの抜粋をご紹介します。

・シュトラッサーはゲーマー
→パワーゲームにしか関心が行っていない
→ゲームに勝ってどうしようというのか理念が見えない
→その意味でホリエモン
→労働者のことを思ってなどいない気がする
・レームは見たいものしか見ていない
→その意味でネトウヨ
→同性愛趣味を感じさせる
→作者の代理人でもあるように思える
・クルップは落ち着いた老人として描かれているのに自分の商品の銃が謀殺に使用されたことを知って饒舌になっているのが奇妙
→死の商人なのでセールスマインドの発露なのでは?
・ヒットラーは悪だなぁ
→中道と言っているがこれは中道ではない
・第二次世界大戦前後の日本にカブる
→二二六の青年将校へのオマージュを感じる
→山本五十六と幹部の対立も連想させる
→戦後日本の象徴天皇制への嫌悪感を感じさせる箇所がある
→ヒットラーは昭和天皇の役どころ?
→シュトラッサーは幣原喜重郎?
→するとレームは二二六の青年将校?
・ところどころ毒がある
→笑うところ、結構ある
・レームが処刑されるところ、取り乱したとある
→作者としてレームの処刑は描くに忍びなかったのであろう
・レームは友情友情と言うが、権力闘争の世界なのに…
→浮世離れしている
・三島由紀夫は薄っぺらくない?
→人物の造形にまるで深みがない
→漫画のように役割分担が明確だからだろう
→自分にとっての理想の天皇像をヒットラーに託した気がする
・サド侯爵夫人とわが友ヒットラーで女性しか出ない、男性しか出ないと対比しているが、どうしてそんなにジェンダーに囚われるのか?
→三島の同性愛趣味を想起させられる対構造である

会の雰囲気は伝わりましたでしょうか。

<レポート> 第2回 ボイス読書会 「友達」 8月27日

うだるような暑さとなった8月27日に第2回ボイス読書会「友達」は行われました。
場所は駒込地域文化創造館。参加者4名。
外の空気よりも熱く進行しました。
待ち時間が多すぎもせず少なすぎもせず、4名体制でちょうど良かったと感じます。

今回もたいへんご好評いただいております。
皆様に堪能していただけて主催者冥利に尽きます。

また音読と演劇が混淆一体となった衝撃は前回と同じく今回もありました。
黙読とはまるで違う、段違いに理解が深まるといった声をいただいております。
何かの鉱脈を掘り当てた気がします。

読了後のディスカッションの抜粋をご紹介します。

・アウトプットすることが新鮮
・前近代では読書は朗読だった、黙読するようになったのは近代以降のこと
・かつて地方はしがらみが強かったが都市化によってしがらみは薄れた
・しかし今またつながりを求められている
・現代では弱い紐帯が注目されている
・「土足はひどいじゃないか」と言われて靴を脱ぐ場面、これはすり替えである。こうしたすり替えを行う人はいる
・思い込みの強い人の思い通りになる社会の状況がある
・前近代と都市化が交錯する舞台
・電話が役割を果たしている
・男性が電話を所有しているのはリッチなこととして描かれている
・個人や核家族の勃興した時代を感じる
・男は会社で身辺のことを話さないのか疑問である
→会社では言っていないのではないか?
→都会の孤立?
→男は元から孤立していたのでは?
・理由なく不条理に友達として迫られていることが不気味
・最初は暴力を振るわれないだけマシだと読んでいた
→あがりこまれるが、近所付き合い、人付き合いのある男であったならば、このような被害は回避できたのではないか?
・三男の賭け
→待望する人々、ゴドーを待ちながらに通じる不条理性の挿話
・婚約者の兄
→家族にとってあるべき男の姿なのでは?
・多勢に無勢だと自分がおかしいと思うのではないか?
→洗脳や警察の自白の強要に一脈通じる
・心理学の実験で棒を選択するというのがある、どちらが長いかを選ばせる
→みんなの意見に反対しないものを選ぶようになる
・逆らいさえしなければ世間だったのに…とは、世間
・何故殺したのか?
→彼らの思想を受け入れなかったから?
→男の孤独癖のため?
・この人たちには悪気ある?ない?
→ない
・この家族に血のつながりはあるか?
→ない
・前近代での旅芸人を彷彿させる集団である
・男性が生き延びるためにはどうすれば良かったか?
→彼らの思想を受け入れていれば良かったのではないか?
・その時代の流れ(強い紐帯から弱い紐帯に移行しようとする人たち)を汲み取り、旧来のあり方からの移行を描いた作品として考えると上手に作ったものだと思う
→排除の現象学が倒錯して表象されている
・カッコつきの常識に過ぎないことへの警鐘を読み取れる
→最後のシーンは家族の価値観対男の価値観?
・あれは粛清だったのだろうか?
→粛清の手法に似ているのは確かなこと
・当時の社会情勢、過激派学生の存在を背景としているのでは?
→赤軍派もまた疑似家族である

会の雰囲気は伝わりましたでしょうか。

<レポート> 第1回 ボイス読書会 「ロミオとジュリエット」 1月29日

爽やかな冬晴れとなった1月29日にボイス読書会の第1回 「ロミオとジュリエット」は行われました。場所は六義園心泉亭。参加者6名。和やかに進行しています。

役柄のアサインをどうするかが難しいものになる不安を感じていましたが、案外にあっさりと済み、滑り出し好調意気揚々。読んでは適度にディスカッションすることを繰り返しました。このやり方には落ち着いて理解しながら読み進めるのに効果があったように思えています。
佳境に入る前に売店のうどんで腹ごしらえ。献立充実しており味噌田楽を食した方もいらっしゃいました。再開後は佳境から終局へと皆で読み切っています。

やってみて感じたこととして、一人の人が担当して最後まで読み切ったことで登場人物があたかも命を持った人間としてそこに存在していたかのような手応えが残っています。体温や息吹が感じられたのです。ロミオ、ジュリエット、マキューシオ、修道士、その他登場人物を今でも生きた存在として感じています

音読・朗読と演劇性が混淆一体となった衝撃がありました。
事前に行っていた黙読とは圧倒的に異なる体験です。
やって良かったと思います。

参加メンバーが全員哲学に関心のある方だったことは不思議な偶然でした。

参加者の声を紹介いたします。

「面白かった。自分の朗読力の低下にも驚いた。」
「色々な人と意見や感想の共有や交換ができて楽しかった」
「演劇には詳しくなかったが時代背景等、知ることが多く、またいろんな解釈があることを知り良かったと思う」
「読み方1つ1つが解釈の表れなので、文学論を戦わせるよりストレートに自分の考えを表現出来ると感じました。」

活動を発展させる励みとします。