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<レポート> 第2回 ボイス読書会 「友達」 8月27日

うだるような暑さとなった8月27日に第2回ボイス読書会「友達」は行われました。
場所は駒込地域文化創造館。参加者4名。
外の空気よりも熱く進行しました。
待ち時間が多すぎもせず少なすぎもせず、4名体制でちょうど良かったと感じます。

今回もたいへんご好評いただいております。
皆様に堪能していただけて主催者冥利に尽きます。

また音読と演劇が混淆一体となった衝撃は前回と同じく今回もありました。
黙読とはまるで違う、段違いに理解が深まるといった声をいただいております。
何かの鉱脈を掘り当てた気がします。

読了後のディスカッションの抜粋をご紹介します。

・アウトプットすることが新鮮
・前近代では読書は朗読だった、黙読するようになったのは近代以降のこと
・かつて地方はしがらみが強かったが都市化によってしがらみは薄れた
・しかし今またつながりを求められている
・現代では弱い紐帯が注目されている
・「土足はひどいじゃないか」と言われて靴を脱ぐ場面、これはすり替えである。こうしたすり替えを行う人はいる
・思い込みの強い人の思い通りになる社会の状況がある
・前近代と都市化が交錯する舞台
・電話が役割を果たしている
・男性が電話を所有しているのはリッチなこととして描かれている
・個人や核家族の勃興した時代を感じる
・男は会社で身辺のことを話さないのか疑問である
→会社では言っていないのではないか?
→都会の孤立?
→男は元から孤立していたのでは?
・理由なく不条理に友達として迫られていることが不気味
・最初は暴力を振るわれないだけマシだと読んでいた
→あがりこまれるが、近所付き合い、人付き合いのある男であったならば、このような被害は回避できたのではないか?
・三男の賭け
→待望する人々、ゴドーを待ちながらに通じる不条理性の挿話
・婚約者の兄
→家族にとってあるべき男の姿なのでは?
・多勢に無勢だと自分がおかしいと思うのではないか?
→洗脳や警察の自白の強要に一脈通じる
・心理学の実験で棒を選択するというのがある、どちらが長いかを選ばせる
→みんなの意見に反対しないものを選ぶようになる
・逆らいさえしなければ世間だったのに…とは、世間
・何故殺したのか?
→彼らの思想を受け入れなかったから?
→男の孤独癖のため?
・この人たちには悪気ある?ない?
→ない
・この家族に血のつながりはあるか?
→ない
・前近代での旅芸人を彷彿させる集団である
・男性が生き延びるためにはどうすれば良かったか?
→彼らの思想を受け入れていれば良かったのではないか?
・その時代の流れ(強い紐帯から弱い紐帯に移行しようとする人たち)を汲み取り、旧来のあり方からの移行を描いた作品として考えると上手に作ったものだと思う
→排除の現象学が倒錯して表象されている
・カッコつきの常識に過ぎないことへの警鐘を読み取れる
→最後のシーンは家族の価値観対男の価値観?
・あれは粛清だったのだろうか?
→粛清の手法に似ているのは確かなこと
・当時の社会情勢、過激派学生の存在を背景としているのでは?
→赤軍派もまた疑似家族である

会の雰囲気は伝わりましたでしょうか。

第2回 ボイス読書会 「友達」 8月27日

夏休みの最後の日曜日にボイス読書会の第二回開催を下記要項で開催します。

皆様の温かい声援とご参加をいただけますればこれに優る喜びはございません。

安部公房の「友達」を題材として取り上げます。
新潮文庫で110ページですので2時間ほどで読了するかと思われます。
音読をたっぷり楽しみましょう。

【題材】
「友達」 安部公房
新潮文庫版を各自お持ちください

【定員】
8名くらいまで (会場都合のため)

【日時】
2017年8月27日(日曜) PM1:00〜PM5:00

【場所】
駒込地域文化創造館 4F 第4会議室
東京都豊島区駒込2-2-2

【費用】
参加費:無料
会場使用料:800円を割り勘します

【当日の流れ】
自己紹介:名前と抱負と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単な説明をします
配役:役どころの割り振りを行います
音読:課題本を音読します
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読します
感想交換:感じたこと思ったことをシェアします
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッションを楽しみます
解散:解散します
親睦会:やるかもしれません

●ボイス読書会 参加申込
こちらの申込フォームからどうぞ。

【資料】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E9%81%94_(%E6%88%AF%E6%9B%B2)

<wikipediaより引用>

作品成立・主題
『友達』は、1951年(昭和26年)に発表された小説『闖入者』を元にした戯曲であるが、テーマやプロットは『闖入者』とは違っている[3]。なお、1974年(昭和49年)の改訂版『友達』では、登場人物の一家の「祖母」が「祖父」に変更され、「元週刊誌のトップ屋」がなくなり、「婚約者の兄」と「三男」が加わった。また、初出版では、タイトル横に「黒い喜劇」と銘打たれている。

安部公房は、『友達』と『闖入者』の異なる点については、『闖入者』の「闖入者」たちは多数原理(民主主義)を暴力の合理化に利用し、主人公はその多数神話に毒されている故にそれに逆らえず自己矛盾の罠におちいるという「受身の犠牲者」にとどまるが、『友達』の「友達」たちは、主人公の忠実すぎる従僕の役割を引受け、その協調と連帯と和解の原理により、主人公は常に「外面的には優位を保つ」ことが出来るとしながら、以下のように、その関係構造を解説している。

その過剰な忠実さと友情の押し売り、盲目的な連帯への信仰が、クモの糸のように主人公を窒息させてしまうのだ。「友達」たちは、終始、犠牲者の立場をよそおいながら、そして主人公は、あたかも加害者の立場に立ちながら、結果はまったく逆になってしまうのである。この皮肉と、苛立たしさこそ、まさに現代の笑いなのではあるまいか。
— 安部公房「友達――『闖入者』より」

『友達』のテーマについては、「他人とはなにか、連帯とはなにか」だと安部は述べ、共同体原理が全く無効になっている現代における人間の連帯について以下のように説明している。

われわれは被害者であるだけでなく加害者でもありうる。そして、被害者であるか加害者であるかということを区別するものはない。“友達”の主人公にしても、被害者でもあるが、また、ちん入者たちにとっては加害者でもありうるわけです。だからといって、僕は絶望してるわけじゃない。人間の連帯という、すでに回復しえないものを回復しようとするのは絶望的だということを指摘したいんです。連帯とか隣人愛とかいいながら仲間割れしている現状を告発したいんです。
— 安部公房「談話記事 戯曲三本がことしの舞台へ」

また、『友達』の長女は「肉体的な愛」、次女は「精神的な愛」を、「主人公に求め、また与えたいと望む」と説明し、「主人公の立場は、彼女たちの好意と善意を利用しようとすることによって、いっそう複雑なものになる」としている。そして、「次女は、脱出を助けるふりをしただけではなく、本当に助けてくれたのかもしれない。死以外に、もはや真の脱出の道が無かったのだとすれば……」と安部は解説している。

なお、観客の反応については、おそらくこの芝居を観てよく笑うだろうと安部は予想しながら、「しかしこの笑いが舞台に対しての笑いではなく、実は自分を笑っていると感じていただければ、芝居は成功だと思う。皆さん、よく笑って下さい」と述べている。