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第2回 ボイス読書会 「友達」 8月27日

夏休みの最後の日曜日にボイス読書会の第二回開催を下記要項で開催します。

皆様の温かい声援とご参加をいただけますればこれに優る喜びはございません。

安部公房の「友達」を題材として取り上げます。
新潮文庫で110ページですので2時間ほどで読了するかと思われます。
音読をたっぷり楽しみましょう。

【題材】
「友達」 安部公房
新潮文庫版を各自お持ちください

【定員】
8名くらいまで (会場都合のため)

【日時】
2017年8月27日(日曜) PM1:00〜PM5:00

【場所】
駒込地域文化創造館 4F 第4会議室
東京都豊島区駒込2-2-2

【費用】
参加費:無料
会場使用料:800円を割り勘します

【当日の流れ】
自己紹介:名前と抱負と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単な説明をします
配役:役どころの割り振りを行います
音読:課題本を音読します
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読します
感想交換:感じたこと思ったことをシェアします
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッションを楽しみます
解散:解散します
親睦会:やるかもしれません

●ボイス読書会 参加申込
こちらの申込フォームからどうぞ。

【資料】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E9%81%94_(%E6%88%AF%E6%9B%B2)

<wikipediaより引用>

作品成立・主題
『友達』は、1951年(昭和26年)に発表された小説『闖入者』を元にした戯曲であるが、テーマやプロットは『闖入者』とは違っている[3]。なお、1974年(昭和49年)の改訂版『友達』では、登場人物の一家の「祖母」が「祖父」に変更され、「元週刊誌のトップ屋」がなくなり、「婚約者の兄」と「三男」が加わった。また、初出版では、タイトル横に「黒い喜劇」と銘打たれている。

安部公房は、『友達』と『闖入者』の異なる点については、『闖入者』の「闖入者」たちは多数原理(民主主義)を暴力の合理化に利用し、主人公はその多数神話に毒されている故にそれに逆らえず自己矛盾の罠におちいるという「受身の犠牲者」にとどまるが、『友達』の「友達」たちは、主人公の忠実すぎる従僕の役割を引受け、その協調と連帯と和解の原理により、主人公は常に「外面的には優位を保つ」ことが出来るとしながら、以下のように、その関係構造を解説している。

その過剰な忠実さと友情の押し売り、盲目的な連帯への信仰が、クモの糸のように主人公を窒息させてしまうのだ。「友達」たちは、終始、犠牲者の立場をよそおいながら、そして主人公は、あたかも加害者の立場に立ちながら、結果はまったく逆になってしまうのである。この皮肉と、苛立たしさこそ、まさに現代の笑いなのではあるまいか。
— 安部公房「友達――『闖入者』より」

『友達』のテーマについては、「他人とはなにか、連帯とはなにか」だと安部は述べ、共同体原理が全く無効になっている現代における人間の連帯について以下のように説明している。

われわれは被害者であるだけでなく加害者でもありうる。そして、被害者であるか加害者であるかということを区別するものはない。“友達”の主人公にしても、被害者でもあるが、また、ちん入者たちにとっては加害者でもありうるわけです。だからといって、僕は絶望してるわけじゃない。人間の連帯という、すでに回復しえないものを回復しようとするのは絶望的だということを指摘したいんです。連帯とか隣人愛とかいいながら仲間割れしている現状を告発したいんです。
— 安部公房「談話記事 戯曲三本がことしの舞台へ」

また、『友達』の長女は「肉体的な愛」、次女は「精神的な愛」を、「主人公に求め、また与えたいと望む」と説明し、「主人公の立場は、彼女たちの好意と善意を利用しようとすることによって、いっそう複雑なものになる」としている。そして、「次女は、脱出を助けるふりをしただけではなく、本当に助けてくれたのかもしれない。死以外に、もはや真の脱出の道が無かったのだとすれば……」と安部は解説している。

なお、観客の反応については、おそらくこの芝居を観てよく笑うだろうと安部は予想しながら、「しかしこの笑いが舞台に対しての笑いではなく、実は自分を笑っていると感じていただければ、芝居は成功だと思う。皆さん、よく笑って下さい」と述べている。